センター前田敦子の誕生秘話?

前田敦子は元祖AKBのセンターです。

現在、前田敦子は女優になるという夢を叶え、AKBを卒業し、ソロ活動をしています。
ですが、現在は前田なきAKBですが、前田の存在感の大きさはものすごいものだったと感じられます。
今でも「AKBと言えば?」という質問に「前田敦子!」と答える人は多いでしょう。
それほど、前田敦子はAKBに貢献し、AKBがここまで大きくなるのに力を注いだ人物だと言えます。
では、どうやってこのAKB不動のセンター前田敦子は誕生したのでしょうか?
最初に前田を推したのは、秋元康ではなく、振付担当をしていた夏まゆみだったそうです。
前田がセンターとなっていくまでのエピソードに迫ってみたいと思います。


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センター前田敦子の誕生秘話?

前田敦子は2005年に第1期AKBオーディションに見事合格し、アイドルの道を歩み始めます。
そして、辛いレッスンに耐え、2006年の2月にインディーズではあるものの、「桜の花びらたち」でCDデビューします。
それまでガラガラだったAKB劇場が、初めて満員御礼になり、その時は、嬉しかったと話しています。
もともと、AKB48は人数が増える予定でした。
第1期で合格したメンバーの人数は24人だったのですが、デビューまでに最終的に残ったのは20人でした。
あとの4人は辛いレッスンに耐えられず、辞めていってしまったのです。
そんな中、第2期生を募集し、オーディションが開催されることが決定し、前田の耳にも入りました。
その時、前田はこう思ったそうです。
「すごい嫌だったんですよ。ここまで頑張ってきたのに、なんで増えるんだろうって。もともと増えるコンセプトだったけど、不安で、私たちの居場所がなくなるんじゃないかと思って。」
CDデビューにこぎつけるまで、前田ら第1期生は辛いレッスンに耐え、お客さんの入らない劇場を盛り上げようと、メンバー自らチラシを配ったこともありました。
そのため、第1期生はみんな戦友のような存在で、絆が深まっていっていたのです。
そんな時に、追加でメンバーが入ってくるということに、グループがぐちゃぐちゃになってしまうのではないかと不安がよぎったようです。
オーディションが行われ、勢いのある第2期生が入ってきました。
のちに、ツートップと言われ、AKB選抜総選挙でトップ争いを繰り広げることとなる大島優子がこの時、第2期生として入ってきました。
しかし、前田の居場所がなくなるどころか、前田はAKBのセンターとなる大きな転機を迎えました。
「渚のCHERRY」という曲で前田は初めてのソロを担当することとなったのです。
表向きは4人ユニット曲という形でしたが、実際は前田一人がソロであとの3人はバックダンサーという格差のあるユニットでした。
これを知らされた時、前田はこう言ったそうです。
「一人だけ目立つのは嫌!」「やりたくない」「なんで私がやらないといけないんですか!」
こんな事を言いながら、前田は大泣きしたそうです。
アイドルになったのならば、誰もがなりたい「センター」に、最初前田は嫌がっていました。
他のユニットのメンバーが前田のバックで踊りたくないという噂を聞いたり、前田の心はぐちゃぐちゃになっていました。
しかし、前田はこのユニット曲を実質やらされた形にはなりましたが、これで、センターとしての素質を買われる結果となりました。
当時、前田を推していたのは、振付を担当していた夏まゆみだったそうです。
秋元は最初前田の印象は髪型から「ヘルメット」として見ていなかったそうですが、ファンからのこんな言葉が秋元の心に火をつけました。
「AKBは面白いけど、誰が誰だか分からない」
この言葉に、秋元は、「スターを作らなきゃ」と思ったそうです。
そして、そのAKBのスター、つまりセンターにするメンバーの候補に前田があがり、その素質を見るために、ユニットを組ませ、センターに立たせたと言われています。
劇場支配人の戸賀崎は、この時なぜ前田が選ばれたのかについて、こう語っています。
「秋元さんは、前田が最もセンターっぽくないから、センターにしたのだろう。大島優子の魅力は分かりやすいが、前田はみんんが謎だと思う。握手会でも“あっちゃんは省エネ”といわれるが、それでも人気がある。
犬と猫に例えるならば猫のような存在で、だから人の興味を引く」
なんと、前田が選ばれた理由は、最もセンターらしくないからだったというのです。
普通そういった人はセンターから外すところですが、そこには、AKBのコンセプトがありました。
「普通の女の子がアイドルに成長していく過程を見せるアイドル」
そのため、すでに出来のいい子は、完成されてしまっているため、AKBのコンセプトからは外れることになります。
その点、前田のように不器用で歌もダンスもいまいちの子がAKBではセンターにふさわしいと判断されたようです。
そうして、「不動のセンター前田敦子」が誕生しました。
前田敦子は、AKB48というアイドルグループだったから、センターという重役を担うこととなったようです。
また、天性の魅力を持っていたため、センターに選ばれたのでしょう。
そのミステリアスな魅力は、AKBを卒業した現在でも健在のようです。
AKBを華々しく卒業していった前田敦子が女優として成功してくれることが、AKBに対しての何よりもの貢献になるというものです。
今後のますますの前田の活躍を応援しましょう。


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