大島優子の子役時代からAKBに巡り合うまでの軌跡?

大島優子は、AKB48グループの中で、最も芸歴が長いとされています。

その理由に、大島優子は幼少期から、子役として芸能活動をしていました。
高い演技力と、容姿の良さで、さまざまなドラマや映画、CMなどに引っ張りだこだったようです。
しかし、そんな順風満帆な日々は続きませんでした。
大島優子は挫折を味わっています。
しかし、それがあったおかげで、大島優子はAKB48と運命の出会いをします。
大島優子はいったいどんな子役時代を過ごしてきたのでしょうか。
また、大島優子が味わった「挫折」とはなんだったのでしょうか。
AKB48と運命の出会いをするまでの大島優子の軌跡を追ってみましょう。


AKB48紅白歌合戦!

AKB48 紅白対抗歌合戦 [ AKB48 ]
価格:4609円(税込、送料無料)

大島優子の子役時代からAKBに巡り合うまでの軌跡?

大島優子は、現在ではAKB48のアイドルとしてエースを務め、歌と踊りのイメージが強いです。
しかし、大島優子は最初からアイドル志望ではありませんでした。
大島優子は卒業してからは「女優業に専念する」ということを公言している通り、もともと女優志望だったのです。
それを裏付けるかのように、大島は幼少期から子役としてお芝居の仕事をしていました。
そこからも、大島優子はもともとお芝居とすることが好きだということが分かります。
大島優子は、もともと母親の勧めで芸能界に入ります。
大島が芸能活動を始めたのが、7歳の頃なので、AKBグループの中で最も芸歴が長いとされています。
子役時代の活躍は目覚ましいものがありました。
特に、小学3年生の頃に出演したドラマでは過酷なシーンが要求されました。
そのシーンとは、山中湖へ飛び込むシーンだったのですが、とても危険な撮影だったため、スタッフが母親に「お母さんはこの現場を見ないでください」と離されるほどだったそうです。
保険金までかけられて臨んだ過酷な撮影でしたが、大島本人はそのころから、女優志望だったため、辛いと思ったことはなかったそうです。
若干小学3年生ですでにプロ意識がずば抜けていたそうです。
小学生の低学年の時は、引っ張りだこだった大島も、高学年になると仕事の量が激減するようになってきました。
それは、子役ならではの宿命でもあるそうです。
子役は、小学生低学年までは需要があるため、オーディションなども多いのですが、高学年になると需要が少ないため、仕事が激減し、そのため、それを機に子役を辞める子供たちが多いようです。
大島も例外ではありませんでした。
そのころから、オーディションを受けても、最後の2人までは残るものの、最後の最後で落とされてしまうということが続きました。
そんな日々が続き、自分の何がいけないのかを知りたくなった大島は意を決して、落とされたオーディションで、ダメだった理由を聞きました。
すると、返ってきた答えが「なんとなく…雰囲気かな」でした。
どこを具体的に直したらいいのかが分からず、悩む日々が続きました。
特に大きな仕事がもらえるわけでもなく、ただただ日常が過ぎていき、大島は気付けば高校生になっていました。
そんな時、大島は一度だけ希望の光が差した時がありました。
それは、フジテレビの「SDM発i」という番組でタカミープロジェクトに参加します。
THE ALFEEの高見沢がプロデューサーになり、新時代のアイドルユニットを結成するというもので、コンセプトは「業界初、50人組のアイドルオーケストラ」でした。
この50人という人数はなんだか現在のAKBに通じるものがありました。
そして、2005年にCDを1枚リリースしますが、それを最後にグループは自然消滅してしまいました。
このプロジェクトに賭けていた大島は、この残念な結果にガックリ肩を落としました。
そして、所属事務所も辞めてしまいました。
高校2年生になった大島は、進路を決めなければならない時期に入っていました。
栃木に住んでいた大島は、東京へ芸能の仕事をしに出てくるのにも、お金がかかるため、金銭的にも芸能活動を続けるのは難しいと考えていました。
それなら、子供のころから習っていた手話を活かして、それを仕事にしていこうと考えていました。
しかし、その手話への道を反対した人物がいました。
それが、当時契約を終了するはずだった事務所のマネージャーでした。
「もったいないよ?まだ諦めなくてもいいんじゃない?」と大島を止めたそうです。
大島自身、本当はまだ芸能界をあきらめたくないと思っていたので、そのマネージャーの言葉は大きく心に突き刺さったようです。
そうして、マネージャーは「秋葉原でこんなのやってるよ。」と、オーディションを紹介しました。
それが、現在のAKB48のオーディションだったのです。
大島は、このAKB48のオーディションに人生最後の望みをかけました。
これでだめだったら芸能界を本気で辞めようと思っていたそうです。
しかし、結果は見事合格し、紆余曲折あったものの、現在のAKBの顔でもある大島優子が誕生したのです。
当時、あのマネージャーが止めてくれていなかったら、AKBのオーディションを勧めてくれていなかったら、現在の大島は確実にいなかったのです。
大島のファンは当時のマネージャーに頭が上がらないかもしれません。
現在の大島がいるのは、沢山の人の支えがってのことなのだと、改めて確認ができます。
大島は、子役時代から挫折はあったものの、AKB48への成功の道を歩むこととなりました。
あの挫折が無ければ、AKB48の大島優子はいなかったのです。
すべては7歳の頃に母親の影響で始めた子役の仕事から始まっていました。
大島のあのポテンシャルの高さは沢山の苦労があってのことだったのでしょう。
AKBを卒業することが決まっている大島ですが、今の大島なら、これから待ち受けているであろうどんな困難も乗り越えていってくれることでしょう。
今後の大島を変わらず応援していきたいものです。

 


AKB48グループ東京ドームコンサート 〜するなよ?するなよ? 絶対卒業発表するなよ?〜


コメントは受け付けていません。