高橋みなみは母の夢を受け継いだ?ダンスは大の苦手だった?

高橋みなみは元気いっぱいでファンに対しても元気を与えるようなパワーを持っているアイドルですが、彼女の幼少期は全く違ったようです。
また、高橋みなみがアイドルになったきっかけは母親だったそうです。
一体どういうことなのでしょうか。
また、高橋みなみはAKB48のメンバーとして一期生から中心となって活躍をしてきています。
そして今ではAKB48グループの総監督を担っていますが、高橋みなみのデビュー秘話はそんな今の姿とは違うものでした。
今では華麗なダンスパフォーマンスを見せる高橋みなみですが、デビュー当時は、ダンスが大の苦手だったようです。
現在では想像のつかないエピソードですが、いったいどんなダンスに関する秘話を持っているのでしょうか?
検証してみましょう。


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高橋みなみは母の夢を受け継いだ?

高橋みなみの幼少期は体が弱く、幼稚園の年長時に気管支ぜんそくを煩っていました。
そこ頃は一年に60回も点滴を打っていたというほど体が弱い子で母親は相当心配していたそうです。
ぜんそくというのは子供のころに発症することの多い病気ですが、親からの遺伝でなるケースも多いそうです。
そういったことから、母親は高橋みなみが体が弱いのは自分の責任なのでは?という思いもあったようです。
現在の激しいダンスや歌をコンサートなどで長時間こなす高橋みなみからは想像できない幼少期でありました。
しかし、体調が万全とはいかない幼少期を過ごした高橋も、小学生3年生になるとぜんそくも回復し、元気を取り戻すと、ヤンチャで元気な男の子のような少女に変身したようです。
そんな高橋が芸能界を目指すきっかけとなったのは母親の影響からでした。
高橋みなみの母親は若いころ、芸能界入りを目指していて、オーディションを沢山受けていて、いいところまでいったこともあったそうです。
しかし、ある日、オーディションの最終審査の当日にオーディションへ行くことよりも、当時付き合っていた恋人とのデートを優先させてしまい、当然オーディションも落選してしまいました。
そのことを母親は相当後悔したらしく、もう自分が夢を叶えるのは難しいと判断した母親は、娘の高橋みなみに自分の夢を託したそうです。
母親の夢を受け継いだ高橋みなみは、幼いころから色々なオーディションを受けてきました。
しかし、なにがなんだかわからない場所へ連れていかれ、オーディションを受けさせられることは当時の高橋みなみにとって苦痛だったそうです。
幼いころは、マンガが好きな女の子で声優か漫画家になるのが夢だった高橋だったのですが、ホームビデオで、
「モデルか歌手になりたい」
と無理やり言わされていたそうです。
しかし、歌のレッスンには通わせてもらっていたらしく、いつの間にか、自分も母親のかつての夢を追いかけていることに気づいたそうです。
今では、AKB48という国民的アイドルとして活躍している高橋は、当時の自分の夢であった「マンガ」と母親の夢であった「歌手」のどちらも同時に叶えてしまったことになります。
同じグループで活躍していた大島優子も子役時代から芸能界で活躍しておりましたが、大島も母親の勧めがきっかけで芸能界入りを果たしています。
やはり、ここまでのグループにのぼりつめたアイドルの中のトップで活躍するには、幼いころからの親の協力が必要不可欠なのでしょうか。
高橋の両親はすでに離婚をしていて、母の手ひとつで育てられた高橋みなみの母への感謝の気持ちと愛情は相当なものだったことが予想されます。
そんな大好きな母親の夢を自分の夢として追い続け、ここまで芸能界で活躍を見せる高橋みなみはかけがえのない親孝行をしていると思います。
高橋のAKB48の1期生として活躍していて、同期のメンバーは次々と卒業していく中、後輩の育成にはげんでいるようですが、高橋の今後の活躍、飛躍におおいに期待しましょう。

ダンスは大の苦手だった?

高橋みなみはAKB48として複雑で激しいダンスや歌をなんなく披露していますが、デビュー当時はダンスが大の苦手だったそうです。
高橋みなみは2005年にAKB48のオーディションに合格します。
その後、当然ダンスのレッスンがあるわけですが、高橋は歌手を目指していたこともあり、歌は得意だったのですが、ダンスは全く踊れず、リズムを取るのもやっとの状態だったそうです。
そんな高橋はいつも居残りをさせられ、練習をしていたらしく、当時は「劣等生」と呼ばれてしまうほどだったそうです。
当時の居残りのメンバーにはあの前田敦子もいたらしく、何時間も踊って練習をしたことを振り返り、高橋自身は当時のその日々を人生最大の努力の日々だったと語っています。
そんな努力があってこそ、AKBを国民的アイドルまで押し上げたのでしょう。
ダンスの上手さと、実際の人気、活躍にはなんの関係もないことが証明されているようです。
AKBの駆け出しのころのダンスの振付担当は、モーニング娘の振付担当もしていた夏まゆみでした。
夏まゆみは高橋を見ながら、「踊れない子がいるから振付を変えます」と言うと、実際に高橋のために振付を変えた曲がありました。
しかし、そのエピソードを聞くと、高橋は相当ダンスが苦手だったのだなと思う反面、高橋はその当時からすでにAKBの中心メンバーだったのだということが伺いしれます。
バックのメンバーのためにわざわざ振付を変えるわけがありませんし、中心メンバーの高橋だったからこそ振付を変えたのでしょう。
そんなデビュー当時から高橋はAKBを引っ張ってきていて、そして今の華麗なダンスを見て、どれだけの努力を重ねてきたのだろうと想像すると、脱帽です。
今後も高橋みなみは自分の努力してきた経験を後輩たちに伝え、AKB48をもっともっと大きなグループにしていってくれることでしょう。
高橋みなみのデビュー当時は今のリーダーシップを張る高橋とは違う表情をしていたようです。
しかし、さまざまな困難を乗り越え、成長してきた高橋だからこそ、後輩の気持ちが理解でき、後輩も高橋についていこうと思えるのでしょう。
今後の高橋のますますの活躍に注目です。


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