大島優子と両親の強い絆?離婚を乗り越えた親子のエピソードとは

AKB48を卒業してから、女優一本で順調な活躍ぶりを見せる大島優子。彼女はAKB48在籍時から、その豊かな表現力とエネルギッシュなパフォーマンスで多くのファンを魅了していきましたが、ステージ以外の場所でも非常に後輩思いの良き先輩で、チームKのキャプテンに就任してからは多くのメンバーが〝優魂継承〟と称した大島イズムを引き継いでいきました。
彼女の持つ人格、それは大島優子を育てた家族との強い絆が影響しているんです。今回は、そんな大島優子の家族エピソードを紹介していきます。


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母親と離れて暮らすようになった大島優子を、父親はどんな思いで育ててきたのか?

大島優子が父子家庭で育ってきたことは有名な話ですが、フォトブック「優子」では、父親と対談する中で当時の思いを知ることになるのです。父親は大島優子の母親と離婚した際、子供達には家の事で一切重荷にさせないように、とずっと思っていたといいます。親が居なくなるにしても、死んじゃったなら、残ったみんなで支え合おう、家事も3等分しようよとかなるけど、離婚は大人たちの勝手でなった事だから…子供に責任なんてまったくない。父親は子供だった大島から母親を離してしまった責任を強く感じており、これをカバーしようと子供に手助けさせようとは思わなかったそうです。洗濯やって、というような些細なことでも子供へお願いしたことはなかったといいます。〝精神的な負担は絶対避けられないけど、生活だけはせめてそうしたいと思った〟…大島優子の父親は、家事全般を全て請け負って、子供達に『お母さんがいたらなぁ』って思わせないように頑張ろう、と決意したそうです。ただでさえ、自営業で忙しい身にもかかわらず、経済的支えと生活的支えを両方担ってきた父親の愛情を感じるエピソードですね。

大島優子の両親が離婚した理由とは?

両親が離婚するきっかけとなったのは、大島優子が小学6年の時に栃木に引っ越したこと。栃木にある、叔父の料理店を引き継ぐために生活の拠点を移したのです。ところが、母親が慣れない土地で生活することに耐えられず、引っ越し半年で離婚することに。
離婚にまで発展しても、父親には栃木で生活しなくてはならないある理由がありました。 〝正直言っちゃえば、来たくて栃木に来た訳じゃなかった〟と話す父親…。 望んでもいなかった栃木の生活ですが、叔父の病気があってどうしても料理店を投げ出すわけにはいかなかったのです。 すべてが順調なわけじゃない、人の仕事を引き継ぐことに対してもいろんな思いはあったようですが、後悔はしてないという父親。人のために栃木に来たけど、自分が選んだ訳だから…。〝人のせいにはしない〟という姿勢を貫く父親の姿、なんてかっこいいのでしょう。また、すべてが辛いことばかりではなく、お店を10年近くやってた事で、いろんな経験も出来、出会いもあったといいます。

 両親の離婚、自分の信じる道を突き進む父親の姿…大島優子の目にどのように映っていたのでしょうか? 〝ショックでしたよね。お母さんが出て行ってしばらくは、家にお母さんの物が無いと、なんか必死に探していました。もう何も無いのは知ってたのに…。〟とはなしながらも、父親に感情をぶつけることはなかったそうです。お父さんは別に悪くないと思ってた…でも、お母さんが悪いとも思わなかった。小学6年といえば多感な年頃。この時期に両親が離婚してしまうと、心配してしまうのが非行への道。大島優子は非行への道に片足を突っ込んでしまうのでした。

中学に入った大島優子が非行に走る…?

両親の離婚を経て中学校に進学した大島優子は、芸能の仕事にもめぐまれなかったため、いくつか部活に入ったのですがすぐに飽きて辞めてしまいました。
そして、大島優子の仲の良い友人が不良の道へ入ってしまったのです。はじめは、その子を不良グループから取り返そうとした大島優子でしたが、そのグループの輪に出入りしているうちに自らも不良の世界へ入っていってしまうのでした。
刺激的な不良の世界に魅せられた…そんな単純な理由もありますが、やはり両親の離婚が大きな原因だったとか。 〝なんで私ばっかりこんな目に遭うんだろう。〟〝別に母親を責めているんじゃなくて、なんでこんな運命なんだろうって…〟 やり場のない気持ちを振り払うように夜の街へ繰り出す大島優子。 

とはいえ、片親家庭は別に珍しいものではありません。大島優子の周りにも片親家庭の友人が結構いたといい、〝一番自分が不幸だと思っているのがバカらしくなった〟と我にかえったんだそうです。大島優子の明るい性格で、友人には恵まれていたようですし、実家のお店のお客さんにも優しくしてもらっていたんだとか。巡り会う人に、環境に、本当に恵まれていた…なのに自分をドン底に叩き付けていることが、バカらしくなった。 大島優子は自分で目覚め、いつしか不良グループとつるむことをやめました。

母親との再会エピソード

高1の時に、小学生以来会っていなかった母親と4年ぶりに再会したという大島優子。
それまでは、たまにメールが来て、それに少しだけ返信をするだけの関係だったとか。 生き別れた母親から『ご飯行こう』ってメールが来たとき、なかなか父親には言い出せなかったようですが、〝今なら言える!〟と思って『ママとご飯に行ってきていい?』と相談。父親は一瞬、ビックリしていたようですが、すぐに優しい顔で『いいよ』と大島に言ってくれたそうです。〝ああ、これはもう溶けたんだなって思いました〟

離婚から4年経ち、両親の気持ちも和らいできたのかと思ったそうですが、母親はそうでもなかったみたいで… 

「ママ、悔やんでたから。私とお兄ちゃんに申し訳ないって、自分を責めてたから。
それで私言っちゃったんです。
『ママはママの人生なんだから、好きに生きてよ』って。
ママ、『強くなったね』って寂しそうに笑ってた。ちょっと可哀想でしたけどね。
でも今は、何かに悩んで相談すると『もっと楽に生きたら? 優子の人生は優子のものよ』って言われます(笑)」

現在の両親との関係は良好?

以前、大島優子が年上の男性と食事する姿を週刊誌に撮られたことがあったのですが、この年上の男性こそ大島優子の実の父親でした。父親と一対一で食事するぐらい、親子関係は良好なようです。
また、離れ離れになった母親との関係ですが、じゃんけん大会当日に「今日はお祭りよ〜ん(ハート)気持ちを大きく!」と母親からメールをもらったエピソードがあるんです。ということで、両親それぞれにつながっているということですね。

 

両親の離婚や死別で、片親のメンバーは大島優子ひとりではありません。ですが、今の大島優子を立派に育ててきた父親、暖かく見守ってくれる母親との絆にほっこりしてしまいますね。これからも仲のいい親子でいて欲しいです。


AKB48グループ東京ドームコンサート 〜するなよ?するなよ? 絶対卒業発表するなよ?〜


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