佐藤亜美菜と母親の間に生まれた心の距離、2年…母と子の物語とは

2007年に憧れていたAKB48へ加入し、2014年に卒業してからは夢だった声優の道へ着実に歩んでいる元メンバー・佐藤亜美菜。佐藤亜美菜といえば、毎年のように総選挙で高順位を記録し、〝シンデレラガール〟とも呼ばれるほどファン人気が非常に高いメンバーとして知られています。 劇場公演の入れ込みようは決して半端なものではなく、当時の劇場支配人・戸賀崎氏によれば〝多重録画すれば、亜美菜だけで全てのセットリストDVDが作れるんじゃないかな。それぐらい全楽曲のほとんど全てのポジションの振り付けを覚えてるんですよ〟と言われるほど、地道な努力の積み重ねでその地位を確立していきました。シングル曲やメディア出演などにはあまり呼ばれていなかった佐藤亜美菜ですが、彼女自身も毎日が充実していたものだったと思います。
ところが、これまで佐藤亜美菜と二人三脚で歩んできた実母にとっては、AKB48にすべてを捧げる娘を理解してあげられなかった時期があったようで、なんと2年もの間親子間は疎遠になっていたというエピソードがあるんです。佐藤亜美菜のたった一人の家族、母と子の物語。それはどういうエピソードなのでしょうか?


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 オーディションを受けたことから徐々に広がっていった母親との距離

中学生の時はアイドルに全く興味を示さなかった佐藤亜美菜ですが、高校生になりAKB48を知ってからは、劇場に足を運ぶほどのファンになっていました。そのうち自分もAKB48に入りたいと思うようになり、劇場で知り合ったファンにAKB48のオーディションのことを相談したそうです。そこで、ファンからいろいろと教えてもらった佐藤亜美菜は、第4期生(1期研究生)オーディションにチャレンジする決意を固めました。結果は見事合格。当時はAKB48の活動は劇場公演はほとんどで、テレビに出演することも稀だったまさに〝地下アイドル〟の存在。とはいえ、佐藤亜美菜にとっては大好きだったAKB48の一員になれることがどれほど嬉しかったことでしょう。この喜びを一番に分かち合いたかったのが、これまでたった二人きりの家族で歩んできた母親だったのです。ですが、このオーディションを巡って亜美菜は母親と言い合いになってしまうのです。

「私がAKBのオーディションに合格すると、母が猛反対しました。『学校はどうするのよ!』。私は、『もう決めたから』と言って、聞く耳を持ちません。『なによ勝手に…。ママは何もしませんからね!?』。『別にいいもん。私は私。ママはママなんだから!』。私たち親子って似た者同士なんです。二人とも意地っ張りの甘えん坊。だから、この日のケンカもいつもの調子ですぐ仲直りするのだろうと思っていました。それがまさか2年間も続くことになるなんて…」

そう、亜美菜と母親の間にできた溝は、この時点からすでに開きつつあり、なんと2年間も冷戦状態は続くことになるのです。

「AKBに入ると、すぐにレッスンと公演漬けになり、私は通信制の高校に転校しました。学費はアルバイトで貯めた貯金で払いました。だから母に文句を言われる筋合いはない。母も仕事があり、私と時間が合いません。以前はあれほど一緒に買い物や遊園地に行っていたのが嘘のよう。気がつけば数ヶ月、会話すらまともにしていませんでした」

一番そばにいるはずなのに、どんどん開いていく心の距離。年齢的にも、大人と子供の狭間にいる亜美菜にとって、通信制の高校に転校したこと、学費はアルバイトで貯めた貯金で払う…この時点で、自立した生活を送りつつあったのです。憧れだったAKB48のために、身をなげうってでも捧げるその覚悟は並々ならないものがあったのでしょう。
のちに彼女は持ち前のガッツで数多くのポジションを頭に叩き込み、劇場にとってなくてはならない存在へと成長を遂げていったのです。

◾︎母親と疎遠になって2年後…ようやく雪解けの時期を迎えた亜美菜と母親

2009年、初めての選抜総選挙で8位という大快挙を成し遂げ、テレビに呼んでもらえる機会も少しずつ増えていった亜美菜。このころ、AKB48の人気も徐々に上がってきました。誰よりも多くのポジションをこなす、誰よりも劇場公演に出演する。それは、自分自身が飛び抜けた才能を持っていなかったから…彼女のひたむきな努力で勝ち取った選抜総選挙での選抜メンバー入り。亜美菜にとって、自分の活躍を誰よりも認めてもらいたかったのは、そばにいる母親だったのです。

「ーこの時、私が母に言えたのは、『テレビ出るんだ。すごいでしょ?』という自慢だけでした。すると母は『最近、帰り遅すぎない? 遊びでしょ?』と言ったのです。その言葉に私はキレてしまった。『遊びって言うな! 私だって辛い事もあるんだ。何も知らないくせに!』。確かに、私が伝えてこなかっただけ…。だけど、『遊び』と言われたのは、どうしても許せなかった。もうこれで、昔のような仲の良い親子には戻れないだろうな。今更後悔しても手遅れ、と思った瞬間…。『ごめんね…。“遊び”だなんて言って…』。母から返ってきた予想外の言葉に、耳を疑いました。母の方から謝ってくれた。素直じゃなかったのは私の方なのに…。それから二人で、声を上げて泣きました。こうして、私たちの冷戦は終わったのです。子供の頃から、母一人子一人だったけど、寂しいなんて一度も思わなかった。それは母が、どんなに疲れていても私と遊んでくれたから。自分は大学に行きたくても行けなかったから、娘だけはと、お仕事を頑張ってくれていた母。なのに私、『私は私だ』なんて…。2年間も寂しい思いをさせてごめんなさい。そして、謝ってくれてありがとう。今ではコンサートにも来てくれるし、どんな相談にも乗ってくれる。嬉しかったこと、悲しかったこと、そのどちらでもないこと、すべて母に話しています。また意地を張り合うこともあると思う。でも、今度は私も素直に謝れる。だからママ、今の私たちはきっと、最強の親子だよ」

きっと、母親からすれば亜美菜は〝親の心子知らず〟だったのかもしれません。亜美菜の母親は、のちに娘に対してこう本音を語っています。

「小っちゃい時からやりたいことはやらせる主義だったから、オーディション受けるって言ったときは『どうぞ』って言いました。ただ、研究生として受かってからは、レッスンで学校に全然行けなくて、何度も辞めるように言いました。AKBの方にも相談しましたが、その頃はまだ学業優先というのがなかったみたいで、今辞めたらもったいないと言われて、結局学校を公立から通信に変わることになりました。元々亜美菜は勉強が好きじゃなかったから、学校を変わることは全く気にならなかったみたいですが、あみままたすは未だにそれだけが後悔として残っています。本当だったら部活をやったり、バンド組んだり、ストリートダンスしたり、体育祭や文化祭などもっと学生らしい生活をしてほしかった。親ってそんなもんだよ」

アイドルになれば、〝普通の高校生〟が経験できるようなことができなくなってしまう。夢を応援したい気持ちと、人生で一度きりの青春を味わって欲しかったという気持ち…色んな思いがあったのですね。でもこれは、亜美菜の母親だけではなく他のメンバーの母親もまた、同じように思っている人が多いのではないでしょうか?
AKB48グループに所属するメンバーはほとんどが10代。姉妹グループをすべてひっくるめても、これまで住んでいた土地とは遠く離れた場所に住居を移すメンバーも多いのです。そんな時に必要なのが母親の存在。たとえば、柏木由紀や指原莉乃の場合、それぞれ住んでいた鹿児島・大分を離れる際、現地に父親を残して母親と二人で上京しています。
また居住の件だけではありません。かつてAKB48に所属していたHKT48メンバーの多田愛佳は、自身が太ったことでストレスを抱えていた頃、母親がやたらとトマトを使用した料理を出していたといい、〝トマトに含まれているリコピンがダイエットにいいらしいから〟と多田愛佳を気遣っている様子が紹介されたこともありました。AKB48メンバーの前田亜美は、家の中でストレスを爆発させた時に救ってくれたのが母親である、というエピソードをもっており…こうしたメンバーたちの〝母親エピソード〟は他にもたくさんあります。共通していることは、皆が母親(もしくは父親)と二人三脚で歩んでいるということです。
佐藤亜美菜にとっても、母親とは最初から共に歩んできたわけではないけれど、ずっと彼女の側で応援してくれている母親の存在は他には代え難い存在だとお思います。母と子、深い絆で結ばれていたのですね。
AKB48に入って充実した日々を送った佐藤亜美菜。決して選抜メンバーにはなれなくても、大好きな劇場のステージに立ち続けたり、〝AKB48のオールナイトニッポン〟では誰よりも多く出演、もっといえばソロでラジオ番組を与えられるなど、とても恵まれていたと言えるでしょう。
今は夢の声優に向かって突き進んでいる…彼女ほど〝がむしゃら〟に突っ走ったメンバーはそういません。佐藤亜美菜ほど、AKB48のコンセプトを体現したメンバーはいないと言っても過言ではないでしょう。
今では困難を乗り越えて母親との絆はより深くなったようです。

 

 


AKB48グループ東京ドームコンサート 〜するなよ?するなよ? 絶対卒業発表するなよ?〜


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