いつの間にかメンバーではなくスタッフになっていた。高橋みなみが語る総監督の苦悩とは?

2015年12月もってAKB48を卒業することを発表した高橋みなみ。彼女は2005年12月のAKB48創設時からグループを支え続けてきたオリジナルメンバーで、現在は言わずと知れる48グループの先頭に立つ総監督という役職についています。
この総監督というポストは、2012年の大組閣時に初めて設定されたものであり、これまでチームのキャプテンを勤めてきた彼女が、今度は何百人といるメンバーと全国のグループを牽引することになるなんて彼女自身も青天の霹靂だったことでしょう。ですが、だれがどう考えてもそれができるのは高橋みなみただ一人でした。
総監督という立場を横山由依に譲り、勇退までの間に引き継ぎを行うことになった高橋みなみですが、総監督としての苦悩は計り知れないものがあったようです。今回はそんな彼女のエピソードをご紹介していきます!


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もともとは自発的にリーダーシップをとっていた

彼女は加入当時からリーダーシップをとっていたわけではありません。正式なキャプテンというのは、当時まだ存在していなかったので年長組の一人である折井あゆみがチームのリーダー的立場でした。ところが折井あゆみが卒業した後、公演前に円陣を組む時に「掛け声、やってみたら?」と同期の戸島花に促され、高橋みなみが円陣の掛け声をするようになったそうです。このころから、自分がチームを引っ張らなくては、という意識が生まれ自然とリーダーシップを取るようになったと言われています。
まだ初代チームで、彼女が公式にキャプテンと言われていなかった頃の2009年ん4月に行われた高橋みなみの生誕祭において、峯岸みなみは次のように手紙を送りました。
『TeamAをここまで連れて来てくれたのは、たかみなです。AKB48をここまで連れて来てくれたのはたかみなです。あなたのことをAKB48のメンバー全員が心から尊敬しています。みんながたかみなの背中を見ています。
でも、私は知っています。たかみなの孤独を。
先頭を走る人間には、目標とする誰かの背中がないということを。だからたかみなは、TeamAがどうすれば良くなるか、一人で悩み続けたんだと思います。私はこのTeamAを離れますが、これだけは言っておきたいです。
たかみな。たかみなのおかげで、AKB48はここにあります。』
リーダーシップをとりながらも、この時点で一人で抱えていた悩みは相当重いものだったことが伺えます。この頃はAKB48が一時の後退からブレイクしかけたとき。酸いも甘いも経験した彼女は自分のことだけでもいっぱいいっぱいになっていてもおかしくなかったはずです。ですが、どうすればチームが良くなるんだろう?と自分のことよりもチームのことを考える人柄だったことから、メンバーやスタッフ、ファンのみんなが高橋みなみこそがグループの先頭に立つべき存在だと認めていたのです。

総監督はまるでスタッフ?メンバーなのにメンバーじゃない、そう感じた瞬間

総監督と入っても、AKB48に所属している現役のアイドルであることに変わりはありません。ですが彼女は、22歳になった時に書いたブログで衝撃的な胸の内を語ったのです。
“21才の1年間は本当に密度が濃くて
そしてビックリするくらぃ
あっという間でした
やり残した事は何もない。
やるべき事はやったつもり”

“でも気づいたのはどこか私は大事な事を忘れていたのかもしれない”

“それは私が毎回LIVEの円陣の時に言う
『楽しもう♪最後は楽しんだ者勝ちだから 』”

“いつからだろう

自分で勝手に背負って
こーしなきゃ、あーしなきゃ
これを皆に言って
スタッフさんには、これを言って
次は何をする
こんなんじゃだめだ
ミーティングしましょぅの繰り返し

いつからだろう
私はメンバーじゃなく
スタッフになっていた”

“総監督はどうあるべきなのか

頑固で出来もしないのに完璧主義者の私は
背負わなくてもいいものを勝手に背負って歩いていた。”

“そんなどーしていいのか
わからなくなった時
ソロの活動が始まった”

“何をするにも1人というその状況に
最初はとても不安だったけど”
どこか楽しんでる自分がいた
CDが出来上がった時、手にした時
なぜか涙がでた
歌収録も毎回死ぬほど緊張するけど
沢山得るものがあった

その感覚をAKBに持ち帰った時
そうだ…楽しまなきゃ…
と思ったんだ”

これを読んだスタッフやメンバーに感想を聞いて回りたいくらいです。なぜなら、本人の口からこう語られるほど“おんぶに抱っこ状態 ”だったのだろうから…。
最終的には“遊びな遊びな!笑”で締められているのですが、AKB48を飛び出して初めて気がついた、自分の新たな苦悩だったのでしょう。総監督だって、ひとりのアイドル。
そんな彼女の支えになったのは、よき理解者である同期のオリジナルメンバーや2期生たちの存在。
AKB48のドキュメンタリー映画でも写り込んでいましたが、コンサートのリハーサルで体調を崩しながらもメンバーに熱心に指導している高橋みなみの横で、エース•大島優子が「たかみな体調悪いんだからふざけんじゃねーぞ」と檄を飛ばしています。何百人といるメンバーを一人でまとめ上げるのはだれだってできることではありません。高橋みなみの理解者の存在は、彼女が総監督でいつづけられるには重要なものだったようです。

好きな時に辞められること。そして引継ぎたくない総監督

彼女は卒業発表をする4ヶ月前の雑誌のインタビューにこう答えていました。“AKB48が嫌いな状態で辞めたくない”“AKB48を辞める時は、AKB48が好きな時”“ある意味今。愛しているからこそグループのために総監督としての貢献したい”と。彼女は卒業発表前の早い段階で辞めることは決意できていたようです。そして貢献する、ということはAKB48に何かを残すということ。
彼女は最初、総監督というポストを自分の代で終わらせたかったようです。彼女が総監督として抱えてきた苦悩は並大抵のものではありません。ですが、秋元康は誰かを先頭に立たせないとグループがまとまらない、とし横山由依を勧めてきました。それでもなお、横山由依に自分と同じ苦労を味わせたくない高橋みなみは最後まで訴え続けましたが、最終的には横山由依本人の成長のためにもなる、とし次期総監督指名に至ったということです。
総監督としてグループに貢献すること。それは、彼女にとって横山由依を育てることがグループの貢献になるということのようです。この1年で、どう引き継ぐのか?最後まで全力で駆け抜けて行って欲しいものです。

 

 


AKB48グループ東京ドームコンサート 〜するなよ?するなよ? 絶対卒業発表するなよ?〜


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